法制史学会第61回総会のご案内


 法制史学会第61回総会を下記の要領で開催いたします。ふるって御参加下さいますよう、御案内申し上げます。
 総会等への参加につきましては、同封の振込用紙に必要事項を御記入の上、4月3日(金)までに振込手続を済ませていただきますようお願い申し上げます。振込の通知が準備委員会事務局に到達するのに若干日数がかかりますので、万一直前に振込手続を取られた場合には、お手数ですがFAXまたは電子メールでその旨お知らせ下されば幸いに存じます。
 なお、研究報告に限り、非会員の方々も当日会場にて参加費をお支払いいただきますと、自由に傍聴していただくことができます。御関心をお持ちの方々の御来場をお待ち申し上げております。

 1.研究報告
 第1日  2009年4月18日(土曜日) 午前9時30分開始
 第2日  2009年4月19日(日曜日) 午前9時30分開始
 会 場  九州大学医学部百年講堂(福岡市東区馬出3-1-1・案内図を御参照下さい)
 参加費  1,500円

 2.懇親会
 日 時  2009年4月18日(土曜日) 午後6時30分開始予定
 会 場  九州大学医学部百年講堂(福岡市東区馬出3-1-1・案内図を御参照下さい)
 参加費  6,500円

 3.見学会
 日 時  2009年4月20日(月曜日)
 目的地  肥前鷹島(元寇史跡の島)と名護屋城址を訪ねて
      ──名護屋城址、名護屋城博物館、肥前鷹島埋蔵文化財センター、今津元寇防塁等
 行 程  午前8時30分日本銀行福岡支店前(天神)に集合・出発、
      午後5時15分頃JR博多駅前にて解散の予定(旅程や見学地につきましては、末尾の頁を御参照下さい)
 参加費  6,500円

 4.昼 食
 会場周辺には小規模な飲食店が若干ありますが、いずれも混雑が予想されますので、両日とも弁当(1,200円)の御利用をおすすめします。事前に御予約いただいた分を用意しますので、御利用の方は振込用紙にてお申込み下さい。

 5.宿 泊
 申し訳ありませんが、今回は準備委員会では宿泊のお世話はいたしておりません。
 (同封のパンフレット等をご参照ください。)

 6.連絡先

 〒812-8581 福岡市東区箱崎6-19-1 九州大学大学院法学研究院内
       法制史学会第61回総会準備委員会(五十君麻里子・植田信廣・直江眞一・西英昭)
  電 話:092(642)3203(五十君研究室)
      092(642)3190(植田研究室)
      092(642)3191(直江研究室)
      092(642)7109(西研究室)
  F A X :092(642)4162(法学部研究補助室)
  E-mail:houseishi61@law.kyushu-u.ac.jp
  (なるべくE-mailを御利用下さい)




総会プログラム


 第1日目 4月18日(土曜日)

09:30〜10:30明治初期における「司法」像の形成──制度設計の典拠にみる議論の諸契機とその射程──山口亮介(九州大学)
10:30〜11:30清代における秋審と「蒙古」高遠拓児(中京大学)
11:30〜12:30湯起請をめぐる室町人の意識清水克行(明治大学)
12:30〜13:30昼休み
13:30〜17:30ミニ・シンポジウム「西欧中世──近世における政策決定をめぐる合意形成」
 13:30〜13:45〔趣旨説明〕渡辺節夫(青山学院大学)
 13:45〜14:1516世紀イングランドの議会における課税をめぐる合意形成井内太郎(広島大学)
 14:15〜14:45中近世フランスの三部会における課税合意の形成堀越宏一(東洋大学)
 14:45〜15:15中世末−近世初頭バイエルンラント議会における立法審議:狩猟問題を中心に辻泰一郎(明治学院大学)
 15:15〜15:45コンスタンツ公会議における公会議主義と教皇の至高権甚野尚志(早稲田大学)
 15:45〜16:10休 憩
 16:10〜16:25〔コメントと議論の柱の提示〕北野かほる(駒沢大学)
 16:25〜17:25討論司会:
小川浩三(桐蔭横浜大学)
新田一郎(東京大学)
 17:25〜17:30まとめ渡辺節夫(青山学院大学)
18:30〜懇親会


 第2日目 4月19日(日曜日)

09:30〜10:30明治14年『改正監獄則』下における監獄行政──監獄事務諮詢会の開催と内務省による監獄行政の方針──姫嶋瑞穂(神戸大学)
10:30〜12:00裁判所所蔵文書から見た戦前期司法の諸相──広島控訴院管内を中心に──矢野達雄(広島修道大学)
加藤高(広島修道大学)
増田修(弁護士)
居石正和(島根大学)
12:00〜13:00昼休み
13:00〜14:30総会
14:30〜15:30古典期ローマ法における高等按擦官告示の効力について上村一則(久留米大学)
15:30〜16:00休 憩
16:00〜17:00秦・漢律の商業的性格について 陶安あんど(東京外国語大学)
17:00〜18:00神祇令における神社祭祀について 久禮旦雄(京都大学)
18:00閉会




報告要旨


明治初期における「司法」像の形成──制度設計の典拠にみる議論の諸契機とその射程──
山口亮介(九州大学)


 従来、明治草創期を対象とする研究においては、往々にして「司法」像の提示が端的なかたちで行われてきた。しかし、当時においては何が「司法」であるかということ自体が自明ではないという状況があるのではないか、と考えられる。こうした状況下で当時の「司法」の在り方をよりよく見通すに当たっては、当時の知識や情報に関わる国内外の典拠に着目し、こうした典拠が参酌され、それにより制度形成がなされていくその様相を、それぞれの史料に降り立って精密に明らかにすることが有用ではないかと考えられる。
 こうした視角の下に本報告は、刑法事務科・局、刑法官、刑部省そして司法省の各機関の制度形成に直接・間接に関与した人物・集団等に関する史料を取りあげる。分析に当たっては、第一に、各機関の設置や改革の背景知識をなすテキスト群につき、従来のようにその存在を個別断片的に提示するだけでなく、そうしたテキストの「読まれ方」に留意し、これを窺い知ることのできる史料を見ていくこととする。この作業を基礎として、第二に江藤新平におけるこれらのテキストの「読まれ方」を位置づけ、その上で江藤がそうした情報に対する理解をどのように制度改革に反映させてゆくかに着目し、その態様を明らかにしたい。
 今回扱う諸機関は、ある一義的な構想によって成立していたのではなく、段階ごとに様々な典拠の下に平行して存在した諸要素を選択した上で成り立っていたのではないか。そうであるならば、そうした制度における選択を所与のものとして扱うのではなく、ある選択を行なうことが当時においてどのような意味を持っていたか、ということに対する考察を積み上げてゆくことが必要となると考えられる。当日は以上の諸点を意識しつつ、報告を行いたい。


清代における秋審と「蒙古」
高遠拓児(中京大学)


 広大な地域を領有し、多様な人的集団を統治下に置いた清朝は、その人身支配上、人民を種々のカテゴリーに分かつ仕組みを設けていた。中国本土や中国東北部などの州・県・庁に籍隷する「民人」、八旗に属す「旗人」、モンゴル地域等で暮らす「蒙古」などがそれである。こうした区分は裁判文書の上にも反映され、とくに刑事的な事案で取り扱われる罪人については、その名や年齢などと並んで「某々県人」「某々旗人」「某々蒙古」など、罪人の帰属に関する情報が記載されるのが常であった。こうした記述は、個人を特定するための標識であると同時に、その罪人に対する法適用や司法手続きに影響を与える可能性も有する重要な情報であった。従来、清朝の司法に関する具体的な事例研究は、人口規模が大きく、豊富な史料が残されている「民人」の問題に焦点が置かれてきたが、清朝の法制度を俯瞰的な視座から把握するためには、民人以外の人を対象とする問題についても、検討を進めてゆく必要があることは言を俟たない。このうち「蒙古」の事例については、島田正郎氏や萩原守氏らによる先行研究の蓄積もあるが、清朝の特徴的な司法手続きの一つとして知られる秋審については、なお未解明の問題が多く残されてきた。各地方に監禁される死刑囚を対象として行われた秋審は、死刑事案を裁可する皇帝権の機能と分かちがたく結びつき、清朝司法の集権的側面を象徴する制度となっていた。このような秋審の実効性が、民人以外の人の世界にどの程度認められるのかという問題は、我々が清朝の法制度を理解する上で小さからぬ意味を持つであろう。そこで本報告では、秋審に関する膨大な史料群の中から「蒙古」に関わる案例を抽出・整理し、この問題について検討を加えることとする。そして、秋審の対象となるような「蒙古」の重罪人について、清朝の当局者がどのように取り扱っていたのか、具体例をもって明らかにし、清朝の法制度を理解するための幾ばくか新知見を示すことにつとめる予定である。


湯起請をめぐる室町人の意識
清水克行(明治大学)


 15世紀の日本社会で大流行をみせる神判「湯起請(ゆぎしょう)」については、これまでも多くの研究が積み重ねられている。ただ、近年の研究の多くは、湯起請が室町幕府によって政策として採用されたものであるのか、それとも在地社会から自生的に生み出された紛争解決法であるのか、など、その実行主体をめぐって「上から」か、「下から」か、といった二者択一的な議論に終始してしまう傾向が強いようである。また、その一方で、湯起請の思想背景については「中世人の篤い信仰心の産物」といった通俗的な説明があたえられて、それ以上に分析が深められないことも、しばしば見受けられる。そのため、はたして当時の人々が湯起請をどのようなものと認識しており、それが社会の秩序維持にどのような役割を果たしたのか、という肝心の問題については、いまだ解明が進んでいない状況にあるといえる。
そこで本報告では、具体的な湯起請の適用事例を確認してゆきながら、室町時代の人々の湯起請をめぐる意識構造を追究してみたい。とりわけ、当時の湯起請を行う主体は、現実にはきわめて多様であり、目的もそれぞれに異なる(これまでの研究の混乱原因の一つは、それらを単一の説明で理解しようとした点にあるといえるだろう)。そのため本報告では、とくに共同体社会・為政者・当事者という三者の立場から、それぞれが湯起請をどのようなものと認識し、湯起請にどのような役割を期待していたのかを個別に解明してゆきたい。また、そうした作業を通じて、最終的には、なぜこの時期にこのような特殊な神判が大流行をみせたのか、あるいは当時の人々がはたしてどれほど湯起請に信頼をおいていたのか、といった点にまで論及してみたいと考えている。





ミニ・シンポジウム

「西欧中世−近世における政策決定をめぐる合意形成」


趣旨
渡辺節夫(青山学院大学)


 本シンポジウムは、『ヨーロッパ中世史研究会』が、「中世ヨーロッパの権力構造とアイデンティティー複合」のテーマの下で遂行してきた研究の成果の一端を公表するものである。そこでは、公的秩序の形成・維持と、それを支える内的な諸力――規範、心性も含めて――と、その機能、メカニズムを通して、権力的支配体制の本質を解明することを基本的課題としてきた。ヨーロッパでは、中世後期から近世にかけて、分極化、重層化した社会が徐々に整序され、国家・領邦への公的権力の実質的な集中化が進行するが、その過程は、諸集団間の調整を不可欠とするものであり、対立局面と協調局面の総和でもある。以上の視点に立ち、以下の四報告を通して、近代の立憲主義、議会制の淵源を探るだけでなく、前近代の「議会」における合意と決定のプロセスを通して、制度の背後にある諸集団間の「調整と統合」の実態を明らかにしようとする次第である。


第一報告[イギリス]16世紀イングランドの議会における課税をめぐる合意形成
井内太郎(広島大学)


 本報告では、16世紀イングランドの議会において、主に戦時に徴収される、サブシディ(Subsidy)と呼ばれる全国的課税をめぐって、国王と議会との間でいかなる合意形成がなされたのかを検討しながら、かつてのいわゆるホウィッグ的歴史解釈、つまり、「議会」とは専制君主に対して自由を擁護する国民主体の機関であり、17世紀半ばのピューリタン革命を経たあとにイギリス議会政治の発展が始まるという理解が、大幅な見直しを迫られていることを明らかにしたい。
 16世紀の議会において、課税供与法案は、激しい抵抗を受けることなく、すべて成立している。しかしながら、徴税業務の実態を検討してみると、16世紀後半以降に、地方の側では、サブシディの課税をいったん受け入れながらも、課税忌避や課税査定額の過小評価など、様々な方法を通じて担税者の負担の軽減がはかられており、結果的に、サブシディの徴収額は当初、政府が見込んでいたものを下回っていくことになった。したがって、16世紀イングランドで、議会での合意(=王国臣民による合意)を通じて課税が行われていたことは、当時のフランスの状況と対照的であったことは確かだが、他方で、中央における課税の合意が、地方レヴェルでいかに認識されていたのかをあらためて検討してみる必要がある。
 中央や地方における課税をめぐる合意形成の過程で、そもそも「何のための戦争なのか」「課税の正当化理由とは何か」「誰が税を負担すべきなのか」について議論することは、16世紀イングランドの国家や社会のあり方そのものに対する問いでもあったのである。


第二報告[フランス]中近世フランスの三部会における課税合意の形成
堀越宏一(東洋大学)


 イングランドにおける身分制議会の発展とは対照的に、フランス王国では、15世紀以降、課税の実施が毎年継続される状況にもかかわらず、身分制議会の召集を欠くことが、次第に多くなっていく。その背景として、全国三部会への参加に要する費用と長旅という困難や、フランスに強固な地域独立性などがあり、王国臣民による課税合意の必要性の観念は存続するものの、諸身分は、もはや、議会での合意なしに課税が行われることを容認していた。
 他方、百年戦争終了前後のシャルル7世の減税(「平和の配当金」)のように、王権側も、課税が可能なときにあっても、必ずしも課税を行っていない事例が知られる。ここには、課税強化を目指す王権と、その制限を求める臣民という古典的図式に、必ずしも当てはまらない、君主と臣民の関係が現れている。
 そのような身分制議会をめぐる君臣関係に光を当てる史料類型として、フランス東北部の諸侯領であるバール=ロレーヌ公領において、三部会で課税合意が得られた後に、公側から発行されていた「保証状 lettres de non préjudice」がある。そこには、徴税実施に関する、臣民と公権力双方の側の主張や、臣民の権利保証が文章化されている。この保証状の分析を通じて、三部会において繰り広げられた君臣間の交渉過程を具体的に明らかにし、身分制議会がもっていた双方向的なコミュニケーションの可能性を探りたいと考える。


第三報告[ドイツ]中世末-近世初頭バイエルンラント議会における立法審議:狩猟問題を中心に
辻泰一郎(明治学院大学)


 本報告では、上記の趣旨に即して、政策合意の一つの場面である、中世末−近世初頭のラント議会における立法審議に関し、特に狩猟問題に対象を絞って考察を試みる。1447年から1505年まで、バイエルンは、オーバーバイエルンとニーダーバイエルンとに分かれ、大公のラント命令形式の立法が主であったオーバーバイエルンに対し、ニーダーバイエルンで成立した1474年、1491年、1501年のラント条令、および、バイエルン再統一後の1508年に成立したラント自由特権の宣言では、狩猟に関する規定が取り入れられた。いずれも、先行するラント議会で、狩猟問題に関する苦情がラント等族によって提出され、それをめぐって、大公側と協議がなされた。等族の主な苦情は、@農民たちの獣害問題、A貴族の狩猟権(と農民の狩猟権)、B大公役人による猟鳥獣罰令違反者への処罰、C修道院における猟師への賄いであった。これらの苦情をめぐって、等族(代表委員)・大公顧問官・大公の間で協議されたプロセスを、クレンナーの『バイエルンラント議会審議』史料集を用いて考察し、一連の協議を通じて、何がどのように決まったのか、その際、それぞれの関係者が果たした役割にも着目しながら、狩猟問題に関する立法的合意形成の具体相を確認したい。


第四報告[教会]コンスタンツ公会議における公会議主義と教皇の至高権
甚野尚志(早稲田大学)


 14世紀末から始まった教会大分裂を終息させようとして、15世紀初めに、教会の再統一と教会改革を目指したコンスタンツ公会議(1414-1418年)が開催される。コンスタンツ公会議では、教皇権に対する公会議の優越を定式化した教令「ハエク・サンクタ(Haec sancta)」と、公会議の定期的開催を定めた教令「フレクエンス(Frequens)」が布告された。これまで、これらの教令は、地域的な代表者が、団体としての教会を合議により統治しようとする、いわゆる公会議主義の理念を体現する布告として、その意義が強調されてきた。しかし、これらの教令をめぐっては、コンスタンツ公会議における教皇不在の危機的な状況で、暫定的なものとして布告されたもので、教皇の至高権を否定するものではないとする見方も、根強くある。また一方で、それらの教令が、中世の神学や教会法で伝統的に述べられてきた、司教主義や団体としての教会の理念を継承しつつ、永続的な法的拘束力をもつ教令として公布されたとする見解もある。本報告では、このような研究史上の対立点を明確にしつつ、これらの公会議主義理念を体現するものと見なされる教令の意義を、コンスタンツ公会議の歴史的な文脈のなかで再検討してみたい。


コメントと議論の柱の提示
北野かほる(駒沢大学)

討論
司会 小川浩三(桐蔭横浜大学)
新田一郎(東京大学)

まとめ
渡辺節夫(青山学院大学)




明治14年「改正監獄則」下における監獄行政──監獄事務諮詢会の開催と内務省による監獄行政の方針──
姫嶋瑞穂(神戸大学)


 明治維新後、明治政府は政治的重要課題である「治安政策」と「対外政策」に直面し、国際水準に対応すべく急速な「近代化政策」、すなわち世界に目を向けた「法律家」「欧化政策」を推し進める必要にせまられた。その過程で社会秩序形成および当時の国家的要請であった条約改正と直接の関係を持つ監獄法制の導入が重要課題となった。条約改正のため国内法整備に腐心していた明治政府は、明治13年公布の旧刑法・治罪法に対応させた明治14年「改正監獄則」を制定する。「改正監獄則」制定の動向は、刑法・治罪法相互の関連性以外に監獄管理体制の改善と行刑処遇の充実、囚人の非人道的処遇への待遇改善にあった。「改正監獄則」によって全国監獄官制・職制の統一がなされた結果、我が国の獄制はさらに大きく飛躍するはずであった。しかし、「改正監獄則」の規定が全て直ちに実現し、監獄事業が有していた諸問題が解決されたわけではなかった。当時、監獄は監獄費負担問題と在監者増加問題の2つの大きな問題を抱えていた。また、「改正監獄則」は「行刑目的」について特に述べていなかったために、運用面で行刑当局者の考え方に大きく左右され、処遇行刑の法的裏づけに問題点を残した。
 監獄行政の目的ないし監獄法制の理論・構想が実務の現場でどのように理解されていたのか、さらに監獄の現場が直面していた課題を実務を担う監獄官吏がどのように捉え、監獄運営の方針転換に関与していったのかについてこれまでほとんど研究がなされていない。本報告では、明治17年第一回監獄事務諮詢会の審議過程の分析を通じて府県典獄の処遇認識を明らかにし、明治14年「改正監獄則」の理念が監獄官吏にどのように捉えられ、運用されていたのかについて検討する。さらに「改正監獄則」施行後の監獄に関わる問題と解決に向けた監獄関係者の動向を分析し、それがその後の内務省の監獄行政にいかなる影響を及ぼしたかを考察する。以上の考察を通じて、明治国家の監獄行政の基本精神と指針を明らかにしたい。


裁判所所蔵文書から見る戦前期司法の諸相──広島控訴院管内を中心に──
矢野達雄(広島修道大学)
加藤高(広島修道大学名誉教授)
増田修(広島弁護士会所属弁護士)
居石正和(島根大学)


 最高裁判所が保管方針の変更を表明した(1992年)ことから廃棄の危機にあった明治初年から昭和18年までの民事判決原本が、「判決原本の会」などの活動によって、国立10大学への暫時移管を経て、国立公文書館つくば分館に保管・保存されるようになったことは、我々の記憶に新しい。
 ところで各裁判所には、判決原本以外にも実に多様な記録帳簿類が保管されている。聴訟表、民事事件簿、訴状受取録、訴訟件名録、訴訟事件銘細録、訴訟明細表、却下文書、裁判申渡案、上訴裁判通知録、民事審理表その他である。これらは、戦前期司法の実態を示す貴重な資料群であって、民事判決原本と並びこれと車の両輪をなすほどの高い史料価値を有している。
 加藤高は、1970年代から中国地方の各裁判所に所蔵されているこれら資料の調査に当ってきた。その後、この調査に、紺谷浩司(広島大学名誉教授・西南学院大学法務研究科教授)・増田修(弁護士)が加わり、3名は2003年秋広島修道大学「明治期の法と裁判」研究会を立ち上げ、調査を継続するとともに、調査検討の成果を公表してきた。同研究会には、2007年以降矢野達雄・居石正和が加わり、今日に至っている。また広島修道大学では、中国地方各裁判所から寄贈された約3,000冊の書籍を中心に、「明治法曹文庫」を構築しつつある。
 本報告の構成は、以下の通りである。
T矢野達雄:「総説」
U加藤 高:「広島高等裁判所管内各裁判所所蔵資料の概要」
V増田 修:「広島・山口の陪審裁判」
W居石正和:「中国状師会第一回議事録について」
X矢野達雄:「裁判所所蔵資料研究の課題と展望」
 最初に、広島高等裁判所管内各裁判所にどのような資料が存在するか概要を紹介する。ついで、戦前期司法制度・裁判史や法曹史の再検討するに当たって、これら資料の利用がいかに豊富な素材を提供するか、具体的に述べる。
 まず、戦前の陪審裁判に関し、裁判所および検察庁所蔵資料を利用することによって、その実態を詳細に再現できることを示す。
 つぎに、裁判所資料から発見された「中国状師会第一回議事録」は、明治20(1887)年9月、広島控訴院管内の代言人組合代表を集めて広島で開催された「中国状師会」の記録である。これは、中国地方の裁判所で訴訟取り扱いに異同があった様子がよくわかるものであり、代言人の活動の一端を明らかにするとともに、裁判手続近代化に関わる歴史研究に新たな知見を付け加えるものである。
 最後に、裁判所所蔵資料全体の構成、近世の裁判との連続・断絶、明治以降の時期的変化、今後これらの資料を利用してどのような研究が可能となるか等、課題と展望を述べたい。
 上記のように、これらの資料は史料的・学術的意義を有しているにもかかわらず、保存の途が講ぜられておらず、いつ廃棄されるかもわからない状況にある。これら資料の保存の途が講ぜられ、各地において検討が進むよう訴えたい。


古典期ローマ法における高等按擦官告示の制度趣旨について
上村一則(久留米大学)


 高等按擦官(aediles curules)は、執政官(consul)が貴族と平民の両階級から選出されるようになったことに伴って、紀元前367年に設置されたとされる古代ローマの政務官職の一つである。高等按擦官は、原則として警察的権限を有し、その一つとして市場に対する監督権限が含まれていた。学説彙纂21巻1章に伝えられる高等按察官告示は、市場での買主保護を目的とし、売買目的物に欠陥があった場合の売主責任を規定する現行民法の瑕疵担保制度(民法570条)の史的基礎とされている。
 この高等按察官告示は、売主の欺罔から買主を保護するために、奴隷と駄獣(馬・騾馬・驢馬等)売買の場合、売主は、疾病・瑕疵などの一定の特性について売買の時に公然と告知し、言明・約束しなければならないと明記する。そして、告知がない場合、あるいは、言明・約束に反して疾病・瑕疵があった場合、それが買主の知らない隠れたものであれば、売主の知・不知に関わらず、一定期間、買主は告示に基づいて、代金の減額(1年間)と契約の解除(6か月間)を請求することができるとする。
 それでは、高等按擦官告示は、強制的な効力を有したであろうか。すなわち、高等按察官告示に違反する売主は、制裁を受けたであろうか。
 これについて、学説彙纂21巻1章28法文(ガイウス 高等按察官告示1巻)は、高等按察官告示に規定されたことを保証(言明・約束)しない売主に対して、買主は、短縮された期間で、代金の減額(6か月間)と契約の解除(2か月間)を請求することができると、唯一、規定する。従来、このことから高等按察官告示に違反した売主は一定の制裁を受けたと解されてきた。しかし、他方で、売買契約当事者が、契約締結の前後を問わず、高等按擦官告示と異なる約束の締結を許されるとする学説彙纂2巻14章31法文(ウルピアーヌス 高等按擦官告示注解3巻)との関連で、最近、従来の制裁説は再検討されつつある。
 本報告では、この問題について、法文を踏まえて最近の議論を整理した上で、そこから生じる高等按擦官の制度趣旨の理解の変化について、考察したい。
(主な参考文献)
É. JAKAB, Praedicere und cavere beim Marktkauf : Sachmängel im griechischen und römischen Recht , München, 1997
B. KUPISCH, Römische Sachmängelhaftung : Ein Beispiel für die 'Ökonomische Analyse des Rechts'? , The Legal History Review, LXX 2002, 21-54


秦・漢律の商業的性格について
陶安あんど(東京外国語大学)


 漢代には幾通りもの贖罪制度があり、刑罰体系の正しい理解を困難にしているが、その背景には秦律にまで遡る法律制度の商業的性格が強く作用しているように思われる。戦国時代の秦国では、官府が武器と生産道具から日常調度品に至るまで幅広く国営生産活動を行い、物や人の売買を通じて多くの債務債権関係に関与したほか、免税権や免刑権などのような国家に対する諸権利についても売買が認められ、法律制度全体が商業的な色彩を帯びていた。贖罪制度の一部はこのような免刑権の売買から派生したものであるが、本報告では、贖罪制度に限定せず、睡虎地秦簡、張家山漢簡や居延漢簡といった簡牘史料の中から、国家による債務債権の処理や権利売買に関わる史料を拾い上げ、初歩的な整理を試みる予定である。


神祇令における神社祭祀について
久禮旦雄(京都大学)


 本報告は神祇令仲春条から季冬条にかけて規定される律令制祭祀を分析するものである。律令制祭祀については個々の祭祀に関しては研究が蓄積されているが、それらの祭祀を体系づけるものである神祇令自体の性格については未だ議論の余地が多く残されているように思う。
 神祇令にみられる祭祀の性格について、井上光貞氏は在来の公的祭祀を唐祠令を参照して編成しなおし、律令体制の維持・発展のための宗教制度としてまとめあげたものと論じ、近年では丸山裕美子氏や西宮秀紀氏が在来の神祭りを編成し律令制祭祀が生まれたことを強調している。これらの説は主に日唐律令比較を通じて考察されていたため、在来的な神祭りを克服するものである、全国的な班幣を伴う新しい祭祀としての祈年祭などに議論が集中する傾向にあった。しかし『風土記』に記されるような大化前代以来の神祭りが律令制祭祀と隔絶した原始的なものではなく、ある一定の支配を正当化するために作られた政治的なものであることは既に石母田正氏や岡田精司氏により指摘されるところであって、律令制祭祀はこれら社会の中で機能している祭祀を取り込んでいく必要があった。その意味で神祇令仲春条から季冬条に記される大神社の鎮花祭・率川社の三枝祭・広瀬社の大忌祭・龍田社の風神祭・畿内と紀伊の特定の社に幣帛を奉る相嘗祭がいかなる意味を有していたかということは重要である。大神・率川社や相嘗祭がかなり古く成立したものと考えられる一方で広瀬・龍田社は天武朝の成立とされるなどこれらの神社は異なる面も多くあるが、大神社は記紀に疫病の流行に際して崇神天皇に夢告を行い祭祀が開始されたと伝えられ、広瀬・龍田社も『延喜式』祝詞式によれば同様の伝承を有していた。この起源譚は『風土記』などに見られる神社成立伝承と共通するところが多く、これらの神社祭祀が官僚的な祈年祭などとは異なる性格を有していたことを示唆している。本報告では律令国家成立期に神社祭祀がいかに神祇令の中に取り込まれ、位置づけられたかを通じて神祇令の性格を考え、律令が当時の社会といかなる関係を有していたかをみていきたい。





見学会の御案内


 下記の要領で見学会を開催いたします。今回は、中近世の対外交流関係史跡を訪ねて、文禄・慶長の役の軍事拠点として豊臣秀吉によって築かれ、現在まで壮大な石垣を残して往時の面影を伝える肥前名護屋城址・名護屋城博物館(佐賀県唐津市)、弘安の役(1281年)で元寇最後の戦場となったことで知られる肥前鷹島(長崎県松浦市)の歴史民俗資料館・埋蔵文化財センターなどに足を伸ばします。帰途、今津元寇防塁(福岡市)にも立ち寄る予定です。当日の案内役は中世対外交流史がご専門の佐伯弘次先生にお願いしております。
 なお、名護屋城博物館、鷹島歴史民俗資料館ともに月曜休館のところ、関係機関のご好意により当日は特別開館していただきます。とくに、鷹島埋蔵文化財センターでは、鷹島近海海底から引き揚げられた元軍船の巨大な木製碇や元軍使用の「てつはう(鉄砲)」をはじめ、近年の中世水中考古学の成果の数々をお見せいただく予定です。ご期待の上、ふるって御参加下さいますよう、御案内申し上げます。

 ○日 時:2009年4月20日(月)午前8時30分集合(日本銀行福岡支店前)
  なお集合場所についての詳細は、18日・19日の学会会場で御案内いたします。

 ○参加費:6,500円
  参加御希望の方は、同封の振込用紙に必要事項を御記入の上、4月3日(金)までに振込手続をお願いいたします。

 ○旅 程:午前8時30分 日本銀行福岡支店前(天神)を出発
     → 鷹島歴史民俗資料館・埋蔵文化財センター
     → 昼食(海鮮料理「鷹島モンゴル村レストハウス」)・島内散策(元寇記念碑などがあります)
     → 肥前名護屋城址・名護屋城博物館
     → 今津元寇防塁
     → 午後5時15分頃JR博多駅前にて解散の予定
       (道路渋滞により多少遅延することがあるかも知れません)

 ○案 内:佐伯弘次氏(九州大学人文科学研究院教授・日本中世史)