【法制史学会企画委員会】


法制史学会企画委員会企画:ミニ・シンポジウム

「ジェンダーの法史学−近代法の再定位・再考」

(2003-03-24 第二版)



  1 シンポジウム・プログラム
  2 シンポジウム概要
  3 シンポジウム4報告概要
  4 シンポジウム関連報告
  5 シンポジウム企画趣旨


1 シンポジウム・プログラム

(1)日時:2003年4月26日(土)午後1:00〜5:30
     (法制史学会第55回総会第1日目午後)
(2)場所:早稲田大学国際会議場
(3)プログラム
 ミニ・シンポジウム「ジェンダーの法史学─近代法の再定位・再考」
司会:白石玲子(神戸市看護大学)・三成賢次(大阪大学)
13:00-13:10趣旨説明
三成美保(摂南大学)
13:10-13:40報告:「近代市民法とジェンダー秩序」
吉田克己(北海道大学・民法学)
13:40-14:10報告:「近代日本の家族法制とジェンダー:親権概念の形成」
村上一博(明治大学・日本近代法史)
14:10-14:40報告:「近世日本の刑事法制とジェンダー:私的刑罰権および刑事裁判にみる性差」
曽根ひろみ(神戸大学・日本近世史)
14:40-15:10報告:「近代ドイツの労働法制とジェンダー:女性労働者の制度的権利保護」
松本尚子(上智大学・西洋近代法史)
15:10-15:30   ……休 憩……
15:30-16:00  コメント@:「日本法史の立場から」川口由彦(法政大学)
 コメントA:「東洋法史の立場から」高見澤磨(東京大学)
 コメントB:「西洋法史の立場から」石井三記(名古屋大学)〔在仏:ビデオ出演〕
16:00-17:20討 論
17:20-17:30総 括
三成美保(摂南大学)

2 シンポジウム概要

「ジェンダーの法史学−近代法の再定位・再考:シンポジウム概要」

三成 美保(摂南大学)

 1999年、「男女共同参画社会基本法」が公布・施行された。公式に'Gender Equality'(ジェンダー平等・男女平等)と英訳される「男女共同参画」社会の実現を「21世紀の我が国社会を決定する最重要課題」(前文)と位置づけたわが国で17めの基本法である。そこでは、「社会における制度又は慣行が、性別による固定的な役割分担等を反映して、男女の社会における活動の選択に対して中立的でない影響を及ぼすことにより、男女共同参画社会の形成を阻害する要因となるおそれがあること」(4条)を前提としつつ、それらの制度や慣行が及ぼす影響を調査研究する必要性がうたわれている(18条)。
 国際社会と比較して、わが国におけるジェンダー平等の達成度はけっして芳しくない。1995年以来、国連開発計画により発表されている「人間開発白書」によると、わが国は2001年統計で、HDI(人間開発指数)およびGDI(ジェンダー開発指数)ではそれぞれ世界162ヶ国中9位、同146ヶ国中11位に位置するが、GEM(ジェンダー・エンパワーメント指数)の順位は低く、測定可能な64ヶ国中31位とふるわない。3つの指数は、日本国民が男女とも平均寿命・教育水準・国民所得等で大差がなく、世界最高水準に達しているものの、政治・経済生活における意思決定への女性の関与はいちじるしく劣るということを示している。これは、わが国におけるジェンダー秩序(性別役割分担に根ざした社会秩序)の伝統を色濃く反映したものと考えることができよう。しかしながら、このようなジェンダー秩序がわが国の法制度にどのような影響を与え、また、いまもなお現行法制度をいかに規定しつづけているかについて、法史学の立場から包括的な研究はほとんどなされていない。
 本シンポジウム「ジェンダーの法史学」は、わが国の法文化とジェンダー秩序との相互関係を歴史的に検討しようとするものである。とりわけ、日本近代法の形成に焦点をあてたい。1999年10月の法制史学会創立50周年記念シンポジウムにおいて「近代法の再定位」が論じられ、多くの成果を得ることができた。そのさい充分に検討されることがなかった近代法とジェンダー秩序との関係を明らかにすることが、本シンポジウムの目的である。もちろん、ジェンダーを法史学的に論じようとする場合には多様な視角がありうる。ここでは、実定法学・歴史学・法史学の共同作業として、わが国のジェンダー法史学が取り組むべき基本的論点をいくつか抽出し、仮説を示して、今後の本格的議論の枠組みを提示することをめざす。その意味で、本シンポジウムはすぐれて実験的な序論的考察にとどまることをあらかじめお断りしておきたい。
 シンポジウムでは、趣旨説明のあと4報告がおこなわれる。まず、実定法の観点から、吉田報告は、現行民法に埋め込まれたジェンダー秩序について論点を整理し、市民社会の変容と近代法形成、そしてジェンダー秩序との関連性について仮説を提起する。第2の村上報告は、吉田報告で示された仮説を法史学的に検証する。家族は、西洋近代ジェンダー秩序のもとでは「私的領域」に押し込められてしまい、それとともに近代家族法にも強固なジェンダー・バイアスが埋め込まれた。このようなバイアスをともなう西洋法を継受して形成された近代日本家族法は、西洋近代家族法と共通するジェンダー秩序と、「家」制度に表現されるわが国独自のジェンダー秩序という二重のジェンダー秩序に対応せざるをえなかった。村上報告は、「家」の「戸主権」と対抗する「家族」の「親権」をとりあげ、当時の立法論議のなかで二重のジェンダー・バイアスが法的にいかに処理されようとしたかを論じる。
 村上報告により近代日本において確認された二重のジェンダー秩序のあり方を歴史的に検証するのが、第3の曽根報告である。曽根報告は、近世において主人=奉公人の関係をも含む広義の「家」を規律化するもっとも有効な手段となっていた刑事法制に着目する。そこでは、ジェンダーの観点から見た刑事法制の機能について新たな論点が示されるとともに、近代の「家」制度に継承・集約されていくような前近代日本のジェンダー秩序の構造が示唆される。最後に、松本報告は、村上報告が対象としたのとほぼ同時期のドイツを取り上げ、比較法史の観点から、日本近代法の特徴を逆照射しようとする。明治民法が成立した19世紀末は、国家が「私的領域」への介入を著しく強めはじめる社会法形成期に重なる。労働法生成期のジェンダー・バイアスを明らかにすることにより、西洋社会における公私二元論(政治・経済生活に関わる領域を「公的領域」、家族など私事に関わる領域を「私的領域」として、前者を男性、後者を女性が担うとする考え方)のあり方の特徴とそれが法制度に与えた影響について論じる予定である。
 以上4報告について、法史学の3分野(日本・東洋・西洋)からコメントをもらい、全体的議論の手がかりとしたい。その後の討論においては、時間の制約があるため、あえて個別問題を扱わず、原則として、報告・コメント等において提起された論点に即して議論を集約していきたいと考えている。会員のご理解とご協力をお願いしたい。なお、本シンポジウムでは仮説提起に重きをおき、パワーポイントを用いて論点をわかりやすく示す予定である。論拠となる史料等については当日配布する冊子体のレジュメに記し、理解の一助となるように配慮する。


3 シンポジウム4報告概要

(1)「近代市民法とジェンダー秩序」

吉田 克己(北海道大学)

 近代は、対等平等な主体が自由な交換関係を取り結ぶ公的領域である市民社会と、具体的人間が情緒的・人格的関係を取り結ぶ私的領域である家族との公私二項対立的社会構造を生み出した。この公私二元的社会構造が強固なジェンダー秩序を埋め込んだものであることは、現在ではひろく共有された認識になっている。つまり、男性は、公的領域である市民社会の活動主体としての役割を割り振られる。これに対して、女性は、もっぱら私的領域である家族をその行動領域として割り振られたのである。それば、性差別を不可避的に組み込んでいるが故に平等論の観点から問題を含むだけではなく、一定の役割強制を強いるが故に自由論の観点からも問題を含むものであった。
 近代市民法は、以上の社会関係を前提として成立したものである。したがって、近代市民法についても、ジェンダー秩序の埋込みという問題性を指摘しなければならない。しかし、自由平等を理念とする近代市民法が不平等と強制を特徴とするジェンダー秩序を埋め込むというのは、いかなることなのであろうか。本報告は、この問題を検討し、一定の仮説を提示することを目的とする。
 その際の鍵とするのは、ジェンダー秩序はハビトゥス(社会規範よりも深層にあって個人の発想・行為等を無意識のうちに規定する社会的構造の総体)の次元に存在する、という仮説である。これと近代市民法秩序とは、一面で相互依存関係に立つとともに他方で緊張関係に立つ。たとえば、それは、抽象的平等を定めることによって一面で社会に存在するジェンダー秩序を隠蔽する機能を果たしうるとともに、他方でその克服を志向しうるのである。本報告では、このような仮説的把握を、民法を中心とした「家族の法」と「人の法」を素材として、歴史的観点も取り入れつつ展開してみたい。

〈関連文献の案内〉
報告に関連する報告者自身の文献として、『現代市民社会と民法学』(日本評論社、1999年)、「家族における〈公私〉の再編」日本法哲学会編『〈公私〉の再構成(法哲学年報2000)』(2001年)、「家族法改正問題とジェンダー」ジュリスト1237号(2003年)を挙げておく。また、ハビトゥスとしてのジェンダー秩序という観点は、江原由美子『ジェンダー秩序』(勁草書房、2001年)から学んだものである。


(2)「近代日本の家族法制とジェンダー:親権概念の形成」

村上 一博(明治大学)

 西洋近代家族法は、公私二元論と男女性別役割分業論に立脚して、「家族」を「私的領域」に押し込め、家族内においては、家族員に対して家長権(さらに、子に対して父権、妻に対して夫権)を設定した。
 近代日本の家族法は、こうした西洋近代のジェンダー秩序を受容するとともに、前近代日本のジェンダー秩序をも継承した。近代日本の「家」制度とは、この二重のジェンダー・バイアスを不可避的に取り込みつつ、さらに独自の変容を遂げた近代日本型ジェンダー法秩序にほかならない。
 すでに、「家」制度のキーコンセプトである「戸主権」の構造と機能については、先学による優れた研究の蓄積があるため、本報告では、「家」の「戸主権」と本来的に対抗する「家族」の「親権」に焦点をあて、いわば「家」制度の裡面から、近代日本におけるジェンダー法秩序の形成過程をたどってみたい。
 端的に言えば、明治初年から明治民法の制定に至る過程は、当初、家長権ないし戸主権に包摂されていた「親権」が、「後見」を契機として、次第に分離していく過程であるが、その過程は直線的ではなく、多様なベクトルに揺らぎつつ、螺旋的に展開していった。明治初年の民法草案・旧民法の編纂・法典論争・明治民法の編纂という立法の各段階において、「親権」が、戸主権といかに関係づけられ、またその論拠として、いかなるジェンダー秩序が−自覚的あるいは無自覚的に−引き合いに出されて、近代日本型ジェンダー法秩序に位置づけられていったかを−判例の動向にも触れながら−検討したい。


(3)「近世日本の刑事法制とジェンダー:私的刑罰権および刑事裁判にみる性差」

曽根 ひろみ(神戸大学)

 本報告では、日本近世の刑事法制にみる男女の性差について検討する。ジェンダーは、「近代」を相対化し批判する有力な分析概念ではあるが、前近代=近世におけるジエンダー性差は、階級.身分差と不可分に結びついており、人々の生活を現実に律していたという点では、階級・身分差以上のものではない。
 しかし、こうした階級・身分差にもかかわらず、近世の刑事法制には、近世社会全体を特色づけるジエンダー秩序をみることができる。それは、近世の刑事法が、武家の間で形成されたとみられるジエンダー性差秩序、規範意識を反映したものであり、それらが、刑事裁判を通して民衆の間にも下降していったと考えられるからである。本報告では、以上の仮説に基づいて、以下の3点について具体的な分析を試みる。
 第1は、戦国期〜近世前期における縁座の変遷をみることで、近世の刑事法に性差が顕れてくる端緒を示す。縁座は、戦国期においては後の復讐を断つ目的で年令・性差の別なく行われ、近世のごくはやい段階でも、男女を問わず幼児までが獄門などに処されたが、次第に女性が赦免される傾向がすすむ。縁座の変遷の中に、刑事法における女性の「保護」、刑事責任における性差が明瞭に姿を現わしてくる点を指摘したい。
第2は、「公事方御定書」成立以降の時期を対象に、刑事法制にみる「家」的秩序、とりわけ家長の私的刑罰権について検討する。具体的には、夫婦、主従・親子間の殺害事件について性差を絡めて検討する。とくに公法上の規定がない主人による召仕や妻の殺害、妻の夫殺し等を取り上げたい。
 第3は、男女(夫婦)、親子(父・母・倅・娘)の共犯事件の裁判・判決をとおして、公権力が、男女、親子の刑事責任をどのようにとらえていたかを検討する。公権力にとって、共犯者の間で、どちらが主犯か、現実にはどのように犯意が形成されたかが主要な関心事なのではなく、むしろ共犯者間の性差・身分関係こそが重要であり、それによって男女、親子にそれぞれ求められる責任が異なっていたと考えられるからである。

(4)「近代ドイツの労働法制とジェンダー:女性労働者の制度的権利保護」

松本 尚子(上智大学)

 本報告の課題は、ドイツにおける19世紀的「近代法」秩序が徐々に「現代法」への変質をとげていく過程で、ジェンダー秩序に及ぼした影響(またはその逆)を考察することにある。シンポジウム全体においては、以下のような課題を念頭においている。近代市民法とジェンダー秩序の関係を分析する吉田報告に対しては、とりわけ近代公私二分論に注目し、19世紀末ドイツの実態に照らし合わせてその歴史的肉付けを試みる。日本法史との関連では、明治民法典成立前夜を扱う村上報告と同じ時代を対象とすることにより、ドイツと日本のジェンダー秩序の違いを社会構造的に分析するヒントとなる素材を提供する。
 19世紀末のドイツは市民社会から大衆社会への変貌をとげつつあった。この時期、ジェンダー秩序が大きく揺れ動いた法分野のひとつが、生成しつつある労働法であった。帝政期労働法制における最初の改革は、1890年に設立された営業審判所である。営業審判所は、雇用者代表と労働者代表が対等原則のもと陪席審判員として審理にあたるという、現在ドイツ労働訴訟の前身といえる制度であった。19世紀末のドイツにはまだ労働立法は存在しなかったから、実体法より先にまず裁判制度が整備されたことになる。では、この営業審判所に訴えた女性労働者たちはどのような人々であり、どのような事件がとりあげられたのであろうか。典型的・問題提起的事案を幾つかとりあげ、労働訴訟におけるジェンダー・バイアスを分析していきたい。また当時、市民層女性は労働運動とは別個に女性団体を組織し、女性特有の社会問題の改善にむけて活動し始めていた。彼女らの議案の中には、女性の劣悪な労働条件も含まれていた。こうした市民層の女性運動と女性労働者の権利救済は、具体的にはいかなる形で交差するのか。市場経済という「公共圏」への労働者女性の参加、家庭の「主婦」としての市民層女性の政治的「公共圏」への進出、ジェンダーの壁と階級の壁、という複層構造をふまえて、「近代法」の再評価を試みたい。

〈参考文献〉
 荻野美穂ほか『制度としての<女>――性・産・家族の比較社会史』平凡社1990年
 川越修『性に病む社会』山川出版社1995年
 川越修・姫岡とし子・原田一美ほか編著『近代を生きる女たち――19世紀ドイツ社会史を読む』未来社1990年
 姫岡とし子「労働者のジェンダー化――日独における女性保護規定――」『思想』898号(1999年4月号)45〜74頁
 若尾祐司『ドイツ奉公人の社会史――近代家族の成立――』ミネルヴァ書房1986年
 Das Gewerbegericht. Monatsschrift des Verbandes Deutscher Gewerbegerichte, Berlin : Reimer, Jg. 1 (1896) - 10 (1904).[Mittheilungen des Verbandes deutscher Gewerbegerichte. Zugleich Beilage zur “Sozialen Praxis”.]
 Soziale Praxis. Centralblatt fuer Sozialpolitik, Leipzig : Carl Heymanns Verlag Jg. 4 (1895)-9(1899).
 Geisel, Beatrix: Klasse, Geschlecht und Recht. Vergleichende sozialhistorische Untersuchung der Rechtsberatungspraxis von Frauen- und Arbeiterbewegung (1894-1933) (Schriften zur Gleichstellung der Frau; Bd.16), Baden-Baden : Nomos Verlagsgesellschaft, 1997.
 Gerhard, Ute (Hg.), Frauen in der Geschichte des Rechts. Von der Fruehen Neuzeit bis zur Gegenwart, Muenchen 1997
 Weiss, Jochen: Arbeitsgerichtsbarkeit und Arbeitsgerichtsverband im Kaiserreich und in der Weimarer Republik (Europaeische Hochschulschriften; Reihe II, Rechtswissenschaft ; Bd. 1521), Frankfurt am Main 1994.
 
 
4 シンポジウム関連報告

(1)報告:2003年4月26日午前11:00〜12:00(シンポジウム当日の午前・第2報告)

 マシュー・H・ソマー(スタンフォード大学)
  「清代の法におけるジェンダー構造」


司会:寺田浩明(京都大学)/通訳:唐澤靖彦(立命館大学)

〈関連文献〉
 Sommer,M.H., Sex, Law, and Society in Late Imperial China, Stanford University Press 2000
 マシュー・H・ソマー(寺田浩明訳)「晩期帝制中国法における売春−18世紀における身分パフォーマンスからの離脱」(『中国社会と文化』12、1997年)

(2)報告概要

The Construction of Gender in Qing Dynasty Law: Abstract

Matthew H. Sommer(Stanford University)

  Using China in the Qing 清 dynasty (1644-1912) as an example, this talk will argue for the value of incorporating gender into the study of legal history. It will explore some specific characteristics of the Chinese gender system reflected in Qing law, and highlight differences with the early modern West.
  The 18th century was a time of dramatic innovations in Qing law, including a major effort to regulate sexual and gender relations in new ways. Obsolete status categories were discarded from the law; at the same time, normative standards of family-based gender roles (husband/father, wife/mother) among free commoners (良民) were extended across the old status boundaries and applied to nearly everyone in an increasingly rigid manner.
  One of the clearest examples of this trend is a series of new laws that addressed sexual relations between males (鶏姦). A new perception of sexual threats to vulnerable masculinity corresponded to the well-known official obsession with protecting and celebrating female chastity. The jurists who drafted these laws imagined sexual intercourse as an act of domination within a gendered hierarchy of roles (masculine/penetrator versus feminine/penetrated), regardless of the biological sex of the partners. Therefore, a male who was penetrated would suffer a profound loss of masculinity (analogous to a woman’s loss of chastity), but no such stigma would taint his penetrator.
  A major purpose in imposing rigid gender norms was to strengthen the peasant family against the newly perceived threat of a growing underclass of rogue males outside the family system, the notorious “guang gun” (光棍) who appear in so many 18th century laws. This new legislation demonized the rogue male as a sexual predator who threatened chaste wives and daughters, as well as the adolescent “sons and younger brothers,” of decent, law-abiding families (良家婦女・良人子弟). This discourse reflected real social trends, including the skewed ratio between the sexes (due to female infanticide) and a worsening shortage of wives among the poor.
  The Qing judicial construction of dangerous and vulnerable masculinity stands in sharp contrast with simultaneous trends in early modern Europe, where there began to emerge the new concept of “sexual orientation.” This dichotomy (homosexual versus heterosexual) defined individuals according to the sex of their object of desire: i.e., a homosexual was a homosexual because he desired the same sex, regardless of the particular role he played in sexual acts. Sexual orientation emerged in the context of a decisive shift away from the hierarchical ideal towards more egalitarian models of social relations, a shift that was reflected in judicial discourse and elsewhere. (For example, feminist consciousness began to take shape at roughly the same time.) In contrast, Qing law contained no category of “homosexual” that would include both penetrators and penetrated males simply on the grounds of a shared desire for the same sex. Such a category would have been entirely alien to the Qing judicial and social imagination, which constructed sexuality according to a template of family-based, hierarchical gender roles.


〈仮訳〉「清代の法におけるジェンダー構造」

マシュー・H・ソマー(スタンフォード大学)

 本報告では、清朝(1644-1912年)を例に、法史学にジェンダーを取り入れることの意義について論じる。そのさい、清代の法にあらわれた中国のジェンダー・システムの特徴をいくつか検討し、近世ヨーロッパとの相違に焦点をあてて論じたい。
 18世紀は、清代法の劇的な革新期であった。セックス=ジェンダー関係を新たに規制しようとする試みもまたその一つである。古い身分制的カテゴリーは法から消え失せた。同時に、「良民」のあいだに広がっていた家族にもとづくジェンダー役割規範(夫/父、妻/母)が、古い身分制の境界を打ち破り、ほとんど万人に対していっそう厳格に適用されるようになったのである。
 こうした傾向をもっともよく反映するのが、「鶏姦」法とよばれる一連の新しい法である。性的脅威が男性性[男らしさ]masculinityを損ないがちであるとの新しい認識は、女性の貞操の保護や称揚にこだわる周知の公的固定観念に相応していた。「鶏姦」法を起草した法律家たちの想定によれば、性交渉は、ジェンダー化された役割ヒエラルキー内での支配行為(男性/挿入する者、女性/挿入される者)であって、当事者の生物学的性[セックス]とは無関係である。つまり、挿入された男性は男性性をまったく喪失するという憂き目にあうけれども(女性が貞操を汚された場合に準じる)、挿入した者にそのような烙印が押されることはないと考えられたのである。
 厳格なジェンダー規範を課す主な目的は、新たな脅威に備えて農民家族を強化することにあった。家族システムの外にはじきだされた下層男性のならず者ーーこれが、18世紀の多くの法に登場するかの悪名高き「光棍」であるーーが増えつつあり、新たな脅威とうつったのである。新しい立法では、ならず者たちは「良家婦女」や年若い「良人子弟」をおびやかして、自己の性的欲望を満たそうとする悪漢とみなされた。こうした言説は、男女比の不均衡(女児殺しに起因する)や貧民間での妻不足の深刻化といった現実の社会動向を反映したものといえる。
 清代の法では男性性は[挿入者として]害をなすと同時に[挿入される者として]性的被害にあうものと解されたが、それは、近世ヨーロッパの当時の動向と著しい対照をなす。当時のヨーロッパでは、「性的指向」sexual orientation[(訳注)性的欲望がいずれのジェンダーを対象としているかを意味する概念]という新しい考え方が生成しつつあったからである。この二分法(同性愛対異性愛)によれば、個人は、どの性を性的欲望の対象とするかにしたがって定義される。すなわち、同性愛者が同性愛者たるのは、同性に性的欲望を向けるからであって、性行為のさいに演じる役割とは関係がない。性的指向は、社会関係がヒエラルキー理念と決別し、平等主義モデルに向けて動き始めるという歴史的脈絡で生じた。この変化は、法的言説その他にも反映されている(たとえば、女性解放の意識がほぼ同時に形成されはじめている)。これに対して、清代の法には、挿入する者と挿入される者をともに含み、もっぱら、同性に向かう性的欲望にのみもとづくカテゴリーとしての「同性愛」は存在しない。「同性愛」というカテゴリーは、清代の法的、社会的想像力にとってはまったく無縁なものであったと思われる。清代の法や社会にとって、セクシュアリティは、家族にもとづく一定のヒエラルキー的なジェンダー役割にしたがって構築されていたのである。[訳:三成美保]


5 シンポジウム企画趣旨(三成美保)

(1)「ジェンダー」と法史学

 [1]日本社会とジェンダー
 1999年、「男女共同参画社会基本法」Gender Equality Lawが公布・施行された。公式に'Gender Equality'(ジェンダー平等・男女平等)と英訳される「男女共同参画」社会の実現を「21世紀の我が国社会を決定する最重要課題」(前文)と位置づけたわが国で17番めの基本法である。そこでは、「社会における制度又は慣行が、性別による固定的な役割分担等を反映して、男女の社会における活動の選択に対して中立的でない影響を及ぼすことにより、男女共同参画社会の形成を阻害する要因となるおそれがあること」(4条)を前提としつつ、それらの制度や慣行が及ぼす影響を調査研究する必要性がうたわれている(18条)。
 しかしながら、わが国のジェンダー平等の達成度はけっして高くない。GNPに代わる新しい指標としてUNDP(国連開発計画)が開発した人間開発の指標によれば、わが国は2001年統計で、HDI(人間開発指数Human Depelopment Index=「長寿を全うできる健康的な生活」・「知識」・「人並みの生活水準」の達成度をはかる指数:平均寿命・教育水準[成人識字率と就学率]・調整済み一人あたり国民所得によって算出する)で世界162か国中9位に位置し、GDI(ジェンダー開発指数Gender-Related Developement Index=HDIの各要素が男女間でどれほど平等に達成されているかをはかる指数:「ジェンダーの不平等を調整したHDI」といえる)で同146か国中11位に位置する。これに比し、GEM(ジェンダー・エンパワーメント指数Gender Empowerment Measure=女性が積極的に経済や政治に参加し、意思決定に参加できるかどうかをはかる指数:女性の所得・専門職や技術職に占める女性割合・行政職や管理職に占める女性割合・国会議員に占める女性割合を用いて算出する)の順位は低く、測定可能な64か国中31位とふるわない。
 3つの数字が示すように、日本国民は男女とも平均寿命・教育水準・国民所得等で大差がなく、世界最高水準に達しているものの、政治・経済生活における意思決定への女性の関与はいちじるしく劣る。これは、わが国におけるジェンダー秩序(性別分業に根ざす社会秩序)の伝統を色濃く反映したものと考えることができよう。日本は、世界でもっとも「ジェンダー・バイアス」(ジェンダーにもとづく偏見・偏向)が根強い国の一つといえるのである。にもかかわらず、あるいは、これゆえに、日本社会全体におけるジェンダーへの関心は決して高くない。基本法制定後に各自治体ですすめられている男女共同参画条例の制定にあたっては、性差を強調するようなバックラッシュもまた認められる。このような状況に対して、法学はいかなる取り組みをなすべきであろうか。
 近年ようやく「ジェンダーと法」が議論されるようになり、憲法(人権論)、家族法、労働法、刑事法(性犯罪)など、いくつかの実定法分野では顕著な成果があらわれている。しかしながら、法学者の総数に比し、ジェンダーを語る研究者はなお少数にとどまっている。それは、近代法学そのものが、他の社会科学と同様に、市民男性の学問として形成されてきた歴史と無関係ではあるまい。前近代法から近代法への移行といった時間軸の問題、外来法と固有法の緊張関係にあらわれた比較の問題、国家制定法と慣習法(民衆法)の対立から読み解く階級・階層の問題はしばしば論じられたが、法的主体として設定された男性と法的主体から排除された女性という性差の問題はほとんど意識されてこなかった。1985年の女性差別撤廃条約の批准および男女雇用機会均等法の制定にはじまるジェンダー平等にむけての歩みは、たしかにフェミニズムの重要な成果であるけれども、内発的な動きというよりも多分に国連からの外圧による側面が強かったことは否定できない。
 戦後、わが国では憲法14条や24条をはじめとする先進的な男女平等条項が制定され、また、雇用機会均等法制定以前の1960〜80年代にすでに雇用における性差別を明確に違法とする判例が蓄積されていた。にもかかわらずジェンダー・バイアスがなお根強く残るのは、わが国独自のジェンダー秩序にその一因があると思われる。わが国のジェンダー秩序は、いかなる歴史的背景をもち、過去の法制度にどのような影響を与え、また、いまもなお現行法制度をいかに規定しつづけているのか。法史学の立場から包括的な研究が必要なのである。

 [2]「ジェンダー」と「セックス」
 「ジェンダー」Gender(社会的・文化的性差)は、1960年代以降アメリカで発展した女性解放運動(「フェミニズムの第2の波」)の影響下で1970年代に積極的意義を獲得した概念である。そもそも「ジェンダー」は、中世ヨーロッパの文法用語であり、言語における「性別」を意味した。しかし、1970年代に、「ジェンダー」は「セックス」Sex(自然的・生物学的性差)の対概念として再定義される。これにより、性差の社会構築作用が学問の対象とされるようになった。
 わが国にジェンダー概念が導入されたのは、1990年代である。当時すでにわが国には、女性の視点を学問研究に取り入れたものとして、1970年代末以降の「女性学」、1980年代半ば以降の「フェミニズム」という蓄積があった。しかし、研究の主体も客体も「女性」に限定されがちなこれら二者に比して、「ジェンダー」は、性差を社会秩序の構築要素として重視するかぎりで、差別/排除の構造そのものを問いかけるという視点の広がりをもたらした。ただし、ジェンダーによる射程の広がりや議論の抽象化によって、女性の抑圧が逆に見えにくくなったという批判もあり、その点は留意しなければならない。
 当初のセックス=ジェンダーの用法では、ジェンダーは生物学的「事実」としてのセックスの結果であると考えられた。ジェンダーの男女二分法は生物学的「事実」としての男女二分法に由来するものとみなされ、その想定自体は自明視されたのである。しかし、1980年代後半以降、とくに1990年代以降のクィア理論(多様な非異性愛の存在を認めて異性愛主義の偏向を問題化する理論)の発展により、セックスがジェンダーを規定するのではなく、逆に、ジェンダーがセックスを規定すると主張されるようになった。すなわち、男女二分法に依拠するジェンダーが、その根拠として遡及的にセックスを男と女の二つに分け、異性愛のみを許容されるべきセクシュアリティ秩序として構築するのであって、その結果、男女二分法からはみだした存在(「性同一性障害」と表現される身体と精神の不一致など)や同性愛を排除するという差別構造を生みだしていると認識されるようになったのである。
 このような議論をふまえて、現在では、セックスやセクシュアリティもまたジェンダーの一側面であって、生物学的な男女二分法は無条件に前提とされるべきではなく、ジェンダーそのものが他のさまざまな階層秩序(人種・民族・階級・宗教・年齢など)と連動しながら作用する一つの非対称な階層秩序であると考えられるに至っている。このような観点に立つならば、ジェンダー秩序と他の階層秩序との相互関係、当該社会におけるジェンダー秩序内部の階層秩序構成のあり方あるいは非対称性の特徴を問わなければならないことになる。社会的性としての男(「男性性」)の属性は社会的性としての女(「女性性」)との対比で決定されるが、この対比における非対称的な男女間の序列関係のあり方は社会によって異なる。生物的性としての男と社会的性としての男は必ずしも一致せず、社会的性としての男と生物的性としての男のあいだにはたらく強制的同一化作用の程度もまた社会によって異なる。ジェンダー秩序を検討するとは、男が女を抑圧しているという単純な構図を問題にするのではなく、ジェンダー秩序がはらむさまざまな抑圧構造を読み解くことにほかならない。

 [3]「ジェンダー研究」とその成果
 ジェンダーを分析上の準拠枠組とする「ジェンダー研究」Gender studiesは、1980年代以降の新しい学問潮流であり、「性別特性」(いわゆる「男らしさ」や「女らしさ」)や「性別分業・性別役割分担」(「男は仕事、女は家庭」など)が社会構造や文化を規定する要因としていかなる機能を果たしているかを検討することを課題とする。先述のジェンダー概念の深化とともに、植民地主義とジェンダーとの関係を問う研究や、異性愛主義の差別構造を告発するクィア理論、男性の立場からジェンダーを検討する男性学等が発展した。
 日本では、フェミニズムの蓄積が大きかった社会学を中心にジェンダー研究がはじまり、歴史学ではスコット『ジェンダーと歴史学』の翻訳(1992年)、法学では岩波講座『現代の法11・ジェンダーと法』(1997年 )を機に、ジェンダー史・ジェンダー法学に対する関心が高まった。2001年度より、3年間の時限措置ではあるが、文部科学省科学研究費の審査ジャンルとして「ジェンダー」がもうけられるなど、学際的研究のテーマとして「ジェンダー」は一定の認知を得たと言えよう。
 ジェンダー研究の成果は多岐にわたるが、もっとも重要な成果は、@「近代」批判、A公私二元論(公私二領域区分論)、B家父長制論の3点にまとめられる。「近代」は、「ひと」を男か女にはっきりと弁別し、男に「公的領域」、女に「私的領域」を振り分けることにより、社会秩序を維持しようとした。「公的領域」に属するのは、国家およびさまざまな位相の市民社会(政治的市民社会、経済的市民社会、市民間で非政治的・非経済的なあらゆるコミュニケーションがはかられる場としての市民社会)である。「私的領域」には、家族をはじめとするプライベートな領域が含まれる。「公的領域」の主体は「自律的」・「理性的」な男性とされ、女性はその「従属的」かつ「感情的」(情愛に満ちている)な本性のゆえに「私的領域」をみずからの領分にすると観念された。「社会制度・政治制度・経済制度を通じて女性を抑圧する男性の権威システム」のことをフェミニズムは「家父長制」あるいは「セックス・ジェンダー・システム」とよんだが、ジェンダー研究では、「近代」はこの「家父長制」を否定するどころか、むしろ強化したと論じられたのである。

 [4]ジェンダーと法史学
 先述のとおり、ジェンダー秩序は他の階層秩序と密接な関連にたつが、そのさい、とくに宗教・道徳・慣習・法などの社会規範との緊密な相互関係を見逃すことはできない。ジェンダー秩序は、それらの規範により構築されるが、同時に、それらの社会規範の重要な前提としてそれらを拘束する。ジェンダー秩序構築にあたって、諸規範のなかでももっとも強い強制力をもつ法は、とりわけ大きな役割を果たす。それぞれの時代、それぞれの文化において、法は、既存のジェンダー秩序を「追認」し、逸脱行為に制裁を加えることをとおしてジェンダー秩序を「維持」し、さらには、あるべきジェンダー秩序を「先導」するのである。「近代法」もまた例外ではなかった。
 近代初期には有産市民の価値観にすぎなかった性別特性論にもとづく公私二元論は、19世紀末以降、労働者大衆にも受け入れられていく。西洋では18世紀末から20世紀初頭にかけて女性解放運動がそれなりのうねりとして展開したが(フェミニズムの第1の波)、その指導者たちも含めて、女性たちもまたこの価値観を共有した。身分制社会の法を克服して市民の「自由・平等」を保障した「近代市民法」は、ジェンダーの観点から見るならば、市民社会成員資格を男性に限定して、女性(とりわけ「妻」)の法的行為能力を制限し、男性に対する女性の従属を固定化する強制装置であったといえる。
 法史学は、かねてより「身分」や「階級」・「階層」・「民族」といった社会秩序構築要素(階層秩序)に敏感に対応してきた。ジェンダーもまたそれらの要素と同じく社会秩序を構築する重要な要素である。ジェンダーを論じることにより従来の法史学が根底からくつがえされることはないにしても、男性しか念頭におかずに法的主体としての「ひと」を語り、人口の上ではけっして少数者でない女性を例外視して法生活の周縁においやる法制度のジェンダー・バイアスを問うことに意味がないはずはない。性による差異化の法的構造を歴史的に読み解くことは、法史学が学問としての「ジェンダー・チェック」に耐え、研究をいっそう充実するための有効な視角になると考える。
   
(2)シンポジウムの企画趣旨

 [1]企画にあたって
 1999年10月、法制史学会は、「法制史学会創立50周年記念」と銘打ち、「近代法の再定位ーー比較法史学的試みーー」をテーマに2日間にわたり大阪大学においてシンポジウムを開催した。両日とも会員の高い関心をよび、熱心な討議がかわされた。その成果は、石井・寺田・西川・水林編『近代法の再定位』(創文社、2001年)に収録されている。
 同書において、西川論文は、シンポジウムの全体的評価として次のように述べている。「このシンポジウムは、法制史学にとって『近代法の再定位』とは結局『市民社会』像の歴史的な再構成を意味するという、ごく平凡な認識を確認することになったと言えよう。しかし同時に、わが国の法制史学が、この基本問題について、必ずしも国際的な研究水準に即した成果を未だ持っていないことも、残念ながらおそらく確かなのである」。
 「近代法の変容」を論じ、「近代法」の基礎たる「市民社会」の歴史的再構成を試みることはけっして容易なわざではない。今後のわれわれの課題は、「近代法の再定位」シンポジウムで投げかけられた諸問題をひとつひとつ丹念に論じていくことであろう。その意味で、今回のシンポジウムでは、西川論文において提起された問題のうち、「家父長制」と「市民社会論」の二つに関わる論点として「ジェンダー」を取り上げ、「近代法」の性格について再検討したいと考える。

 [2]シンポジウムの課題
 シンポジウム準備のためのジェンダー法史研究会では、すでに2年にわたって共同研究会および研究会合宿をもち、シンポジウムの方向性について議論を重ねた。その成果として、シンポジウムの課題を以下のように設定した。
 今回のシンポジウムは、「ジェンダー」の観点から「近代法」の性格を再検討することを課題とする。とりわけ、「近代市民社会」の基礎をなす「公私二元論」に着目し、「近代法」と「公私二元論」の関わりを考察したい。そのさい留意したのは2点である。第1は、ジェンダー秩序がもっともよく反映される法領域をとりあげること、第2は、日本近代法秩序との比較をつねに念頭におくことである。
 上記2点に配慮して、シンポジウムでは実定法学・歴史学・法史学の協力をはかる。とりあげる法領域は民法(全体)・家族法・刑事法・労働法であり、一方では実定法学と法史学を対比し、他方では近代日本と近世日本、西洋近代を対比する。詳細については、本稿2「シンポジウム概要」、3「シンポジウム4報告概要」に示したのでご参照いただきたい。
 シンポジウム準備にあたっては、企画委員会をはじめ多方面からさまざまな支援をいただいた。心から感謝したい。なお、本シンポジウムは、2002〜2003年度科学研究費基盤研究(C)(1)による共同研究の成果の一部である。

〈関連文献(抜粋)〉
 石井三記・寺田浩明・西川洋一・水林彪編『近代法の再定位』(創文社、2001年)
 白石玲子「介護休業とジェンダー」(山中永之佑編著『介護と家族』早稲田大学出版部、2001年)
 白石玲子「女性史と法制史のかけはしを求めて」(石月静恵・藪田貫編『女性史を学ぶ人のために』世界思想社、1999年)
 白石玲子編著『資料で読む女性・家族と法』(フォーラム・A、1997年)
 曽根ひろみ『娼婦と近世社会』(吉川弘文館、2003年)
 曽根ひろみ「売春概念をめぐって−『売女』『売色』『売淫』」(『現代のエスプリ』366、1998年)
 曽根ひろみ「近世売買春の構造−公娼制の周縁」(『アジア女性史−比較の試み』明石書店、1997年)
 曽根ひろみ「女性史とフェミニズム:『歴史学とフェミニズム』に寄せて」(『女性史学』6、1996年)
 曽根ひろみ「芸者考−丹後宮津の芸子を中心に」(脇田晴子・S.B.ハンレー編『ジェンダーの日本史(上)−宗教と民俗・身体と性愛』東京大学出版会、1994年)
 三成美保「ワイマール期の婚外子法改革論とジェンダー」(『女性史学』12、2002年)
 三成美保「ドイツにおける家族法の『近代化』とジェンダー−『未婚の母』をめぐる立法と判例」(『阪大法学』49-3=4、1999年)
 三成美保「婚外子の法的地位とジェンダー−近世・近代ドイツにおける婚外子の扶養請求権」(井上達夫・嶋津格・松浦好治編『法の臨界2:秩序像の転換』東京大学出版会、1999年)
 三成美保「近世ドイツの女性と犯罪−姦淫罪とその廃止」(『摂南法学』20、1998年)
 三成美保「近世ドイツの法と女性−嬰児殺をめぐる言説と立法」(田端泰子・上野千鶴子・服藤早苗編『ジェンダーと女性』早稲田大学出版部、1997年)
 村上一博『日本近代婚姻法史論』(法律文化社、2003年)
 村上一博「近代日本における父−私生子認知法を中心に」(孝本貢他編『父−家族概念の再検討に向けて』早稲田大学出版部、2003年)
 村上一博「明治後期における妾と裁判」(『法律論叢』75-2=3、2002年)
 村上一博「明治婚姻・離婚法史研究の現状と課題」(田端泰子・上野千鶴子・服藤早苗編『ジェンダーと女性』早稲田大学出版部、1997年)
 村上一博『明治離婚裁判史論』(法律文化社、1994年)
 吉田克己「家族法改正問題とジェンダー」(『ジュリスト:特集「ジェンダーと法」』1237号、2003年)
 吉田克己「家族における〈公私〉の再編」(『法哲学年報2000:「〈公私〉の再構成」』2001年)
 吉田克己『現代市民社会と民法学』(日本評論社、1999年)
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 金城清子『ジェンダーの法律学』(有斐閣、2002年)
 金城清子『法女性学−その構築と課題』(日本評論社、1991年、第2版1996年)
 金城清子『法女性学のすすめ』(有斐閣、1983年)
 辻村みよ子『女性と人権−歴史と理論から学ぶ』(日本評論社、1997年)
 辻村みよ子『人権の普遍性と歴史性』(創文社、1992年)
 辻村みよ子・金城清子『女性の権利の歴史』(岩波書店、1992年)
 『ジュリスト:特集「ジェンダーと法」』1237号(有斐閣、2003年)
 『法哲学年報2000:「〈公私〉の再構成」』(有斐閣、2001年)
 『思想:「ジェンダーの歴史学」』898号(岩波書店、1999年)
 『岩波講座・現代の法11・ジェンダーと法』(岩波書店、1997年)
 井上輝子・上野千鶴子・江原由美子・大沢真理・加納実紀代編『岩波女性学事典』(岩波書店、2002年)
 
(2003-03-24 第2版掲載) 
(2002-08-13 第1版掲載) 


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