【論説】
<口頭審理による後見的な真実解明への志向>試論――一例としての大正民訴法改正
水野 浩二
本稿では大正民事訴訟法の改正過程(1903-1926)を、〈当事者か職権か〉〈口頭審理か書面審理か〉という二つの対抗軸から検討する。当事者主義・弁論主義という原則に基づくとされる近代法の民事訴訟手続は、実は口頭審理での職権の後見的行使により真実に基づく裁判を実現すべきという方向性=〈口頭審理による後見的な真実解明への志向〉を重要な柱の一つとして当初より内包していたという仮説を、大正改正における訴訟資料・攻撃防御方法の提出・収集に主に関わる議論の推移(釈明権・一方当事者欠席の際の手続の導入・準備手続の一般化)を材料として例証する。先行研究が大正改正の目的として重視してきたのは、手続の迅速化とそのための職権進行の強化であり、準備手続の一般化や一方当事者欠席の際の手続の導入もその文脈で理解されてきた。しかし改正過程においては〈口頭審理による後見的な真実解明への志向〉が手続イメージとして広範に共有されていた。準備手続の一般化も一方当事者欠席の際の手続の導入も口頭での丁寧な審理による真実解明を主眼とするものとして構想され、そのために釈明権が強化されたのである。この志向は司法当局の一方的な押し付けではなく、弁護士や当事者が自らの利益のために積極的に望んだものでもあった。しかし〈口頭審理による後見的な真実解明への志向〉は漠然としたイメージに最後まで留まり、現状や制度に対する認識、そこから導かれる結論にはアクター間にかなりのズレが存在した。これはアクター毎の立場や認識レベルの相違に加え、口頭審理と後見的な真実解明のあいだの相補的関係が十分に理解されることがなかったことの帰結と思われる。
〈口頭審理による後見的な真実解明への志向〉が広範な支持を集めた背景として、弁護士の資質の低さについて弁護士を含めすべてのアクターの認識が一致していたことがある。社会政策的配慮にもとづく職権強化で知られた墺民訴法(1895)の大正改正への影響はつとに指摘されてきたが、そもそも19世紀の独民訴立法(草案)において〈口頭審理による後見的な真実解明〉を重視する流れが存在し、さらには中世ローマ・教会法的訴訟手続以来の民訴手続の一つの系譜として位置づけることも可能であろう。〈口頭審理による後見的な真実解明への志向〉は大正民訴改正を評価する際の重要な一側面であると同時に、民訴手続における一つの通時的な系譜として積極的な位置づけを与えられるべきではないだろうか。
・キーワード:大正民事訴訟法改正(1926)、裁判官の職務、口頭審理、真実解明、釈明権、欠席の際の手続、準備手続、ドイツ民事訴訟法
【叢説】
清代における秋審判断の構造――犯罪評価体系の再構成
赤城 美恵子
清朝は、律例の中で、個別の死刑犯罪ごとに、斬・絞などの刑種のほか、その執行の時期についても「立決」と「監候」とに分けて規定した。裁判を経て、立決は皇帝の死刑判決後ただちに死刑が執行される。他方、監候の場合には、死刑判決後、さらに年に一度の再審理手続(「秋審」)を経て、死刑執行相当の「情実」・翌年まで判断を延ばす「緩決」・減刑執行相当の「可矜」の何れかの処遇が定められる。これらの処遇は個々の罪情に応じて決定される。すなわち、秋審においては、裁判で個別の罪情を一度考慮した上で死刑相当とした事案を対象に、同一の罪情に基づき改めて死刑の可否を問う作業が行われる。
では、律例や裁判を通じてなされる判断と秋審での判断とは如何なる関係に立つのか。また、秋審は清代の司法システムの中でどのような機能を持ったのか。本稿は、実際に秋審判断をする際に刑部の官員たちが着目した要素やその結論に至る道筋を分析することで、秋審判断の構造の解明を試み、上記問題を検討した。
律例は、構成要件の形で、様々な加重・軽減事由を組み合わせて特定の犯罪類型を規定し、その量刑の結果として特定の刑罰を定める。しかし、他の犯罪類型を構成する事由として示され、したがって、量刑を上下させうる要素として律例の中でその存在を認識されつつも、当該犯罪の構成要件には取り込まれず、つまり、当該犯罪類型に対する量刑判断に反映されていない要素も存在する。ところが、秋審判断では、この除外された要素も含めて、既存の犯罪評価体系に示される要素が、改めて加重・軽減事由として検討材料となる。確かに、官員たちの秋審判断の思考方法には複数のバリエーションが確認される。しかし、他の犯罪類型が内包する事由を加重・軽減事由として媒介させて罪情の軽重を比較するという手法は共通しており、いずれも他の犯罪類型との相対的な距離を比較して個別犯罪を評価している。このように、秋審では、個別的犯罪を再度犯罪評価体系の中で位置付け直す作業が行われる。
そして、多様な監候死罪案件を相互の関連の中から再評価することは、犯罪評価体系全体の再評価につながる。秋審は、清朝司法システムの中で、新たな処遇を加えることで律例上限定された刑罰体系を細分化し、同時に、犯罪評価体系を再構成しなおす機会となったと考えられる。
・キーワード:秋審、律例、秋審判断の基準、犯罪評価の体系
新羅律令に対する中国律令の影響――国家秩序維持関係の法令を中心に
鄭 東俊
本稿では新羅の律令における中国王朝の影響を検討するため、新羅の法令と唐以前の律令のうち、謀反罪・盗罪に対する処罰規定と官人の職務関連規定を主に取り上げ比較検討した。
「刑法としての律と行政法としての令とを区別した法典として編纂された」所謂「律令」は、「曹魏以前に追加単行法を中心に運用され未だ法典として編纂されていなかった」中国王朝の「原始律令」を含まない概念であるため、新羅に適用しがたい憾みがあった。新羅法令の時期区分については、中古期と中代の法令に性格の差異があるかどうか判断できないため、本稿ではその時期区分を保留しておいた。
新羅の法令における謀反罪・退軍罪の処罰は、曹魏までの中国律令と共通点が見られる。また、君主欺瞞罪に対する処罰は漢代の不道罪に類似している。私利取得罪・官人収賄罪の処罰は、後漢代の律令に類似している部分がある。官印の支給については、六七五年以前は漢代~魏晋南北朝の影響があったと推定される。官人の休暇関連規定については、漢律の影響も考えられるが、唐令の影響である可能性も無視できない。盗罪に対する処罰は、高句麗・百済のように定額的賠償制などの慣習法をそのまま成文化した規定もあった可能性がある。
新羅の法令に関しては、漢代の「原始律令」が主に楽浪郡 を経由し、三世紀前半の中国王朝の「原始律令」が主に帯方郡と百済を経由したうえで、前者が高句麗によって、後者が百済によって六世紀前半まで影響を及ぼして「原始律令」的性格が見られるようになったと考えられる。ただし、官印の支給と官人の休暇規定は唐から影響を受けた可能性がある。
・キーワード:法令、律令、新羅、曹魏、漢、楽浪郡、帯方郡