法制史研究 60号(2010年)和文要旨

【論説】

マクデブルク参審人の法教示と法判告――F・エーベル編『マクデブルク法』をめぐって――
稲元 格

 ザクセンシュピーゲル・ラント法に由来する中世ドイツの慣習法は、その後にどのように発展していったのであろうか。本稿は、一三世紀末から一七世紀までのマクデブルク参審人の法教示と法判告の史料集であるF・エーベル『マクデブルク法』を通して、その解明の糸口を探っている。この史料集の第1巻は、マクデブルクの近隣、主に現在のニーダーザクセン州の都市に、第二巻はブレスラウ市に、それぞれ残されているマクデブルク参審人の法教示と法判告を収録している。
 一四世紀末までの法史料は、マクデブルクの娘法都市からの法についての質問に対するマクデブルク参審人の回答(=法教示)が一般的である。しかし一五世紀以降は、法の質問ではなく、大半は、娘法都市からマクデブルク参審人への、原審での判決不能を理由とする判決(=法判告)の懇願へと変わっていく。それに伴い、問い合わせ部分では、原審における訴訟当事者と彼らの代言人(代弁人)の発言内容がより詳細に再現されるようになる。回答部分では、マクデブルク参審人が、ザクセン法とマクデブルク法以外には回答しないという原則を放棄し、一五世紀半ばから、その他の法源、自治制定法、そしてローマ法(普通法)についても回答するようになる。
 このような発展において、マクデブルク参審人のみならず、訴訟当事者と彼らの代言人もまた重要な役割を果していることは自明である。なぜなら、慣習法の発展はマクデブルク参審人と訴訟当事者、そして彼らの代言人との間での、判決をめぐる問い合わせと回答がもたらしたようであるからである。ローマ法の継受もこれと同様の過程を辿り、ローマ法的な法用語は、まず訴訟当事者の代言人の陳述部分に一五世紀半ばから登場し始める。一六世紀に入ると、マクデブルク参審人もこれらの用語を使用するようになり、一七世紀には、彼らは普通法を含め、当時の現行法令についても回答を与えている。
 以上のことを簡単に図式化すると、マクデブルク法の史料では、一五世紀半ばまでの慣習法の自生的な発展、そして、その後のローマ法の継受による慣習法の変容ということになる。ただし、ローマ法の継受を促すような法令は管見の限りでは存在しないから、訴訟当事者からの問い合わせに、従来の法源の枠内では答えることがむずかしくなったマクデブルク参審人が、一五世半ばから、新たな法源である自治制定法やローマ法をも容認する過程で、後者の継受が生じたようである。つまり、ローマ法の継受も慣習法の自生的な発展の結果と言えなくもない。既に一五世紀末からは、普通法を学んだ参審人も登場している。このことは、他方で、マクデブルク参審人を学識法曹と変わらぬ「法の専門家」に変えたが、しかし同時に彼らの法の専門家としての権威も失わしめることにもなる、ようである。

 ・キーワード:慣習法、法教示、法判告、参審人(審判人)、代言人(代弁人)、マクデブルク法、ザクセンシュピーゲル・ラント法、自治制定法、ローマ法の継受、マクデブルク大司教


【叢説】

「敬慎願」とは何か――明治前期における裁判制度継受の一断面――
辻村 亮彦

 本稿では、明治民事訴訟法施行以前に行われた「敬慎願」と呼ばれる裁判手続について、フランス法の継受という観点から検討を行う。
 フランス(旧)民事訴訟法典四八〇条以下のrequête civileは、現在の「再審」に相当する手続であり、これに箕作麟祥が「敬慎ノ願書」という訳語を当てた。「丁寧な」「礼儀正しい」を意味するこのcivilという語は、この手続がフランス古法以来の判決取消手続に由来することを示しており、箕作の「敬慎」という訳語もそれを踏まえたものであった。
 控訴、上告の制度が整備された後も、救済の必要がありながらもこれらの手続によっては救済されない事案があることが明治前期の司法官たちに認知され、その解決策をrequête civileに求めた。このような模索の一つの結果が明治一一年司法省丁第三四号達であったが、この達は大審院からの伺に対する事例判断に止まり、敬慎願に関する要件と効果を定める規範ではなかった。その後も裁判所と司法省との間の伺指令等により、相手方が決め手となる証書を隠匿していた場合と証拠を偽造していた場合に、判決の取消が認められるようになっていく。
 明治一七年に入り、テヒョーによる民事訴訟法の編纂が本格化するのと軌を一にして、ボワソナードが敬慎願の規則制定に関する意見書を提出し、司法省は「民事訴訟手続」を編纂して従来の手続の内容を整理し、司法統計上も「敬慎願」が項目化され、一定の「制度」としての位置を認められる。しかし、「再審」の規定を置く明治民事訴訟法の施行までは、明確な法的根拠のない「敬慎願」が裁判上の慣行として行われ続けることになった。
 このように、フランスのrequête civileに起源をもつ「敬慎願」は、日本の実情に合わせた改変を受け、法令による裏付けのないまま裁判慣行として定着しており、明治前期の「法の継受」の一つのありようを見ることができる。

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