見学会の御案内 滋賀県・湖東方面史跡見学




 貸切バスを利用して、湖東の史跡を見学いたします。行程・見学地は以下を予定しています。なお、安土城址は、徒歩での1時間程度の往復になります。御希望の方はその間、別途周辺をご案内いたしますのでその旨、お申し出下さい。

近江八幡・八幡堀安土城より琵琶湖を望む百済寺の紅葉*

11月29日(月曜) 午前9:30 JR京都駅八条口 出発

 京都駅南側1階・近鉄八条口近くの、バス乗り場に面した場所(京都駅2階の新幹線中央口・近鉄中央口付近から、1階に降りたところ。近くにコンビニエンス・ストアがあります)にいったん集合していただき、バスにご誘導いたします。なお集合場所については、研究大会当日に、ご参加の先生方にはあらためてご案内いたしますので、ご確認ください。

草津市・芦浦観音寺 聖徳太子開基、秦河勝の建立と伝えられる天台宗の寺院。いったんは衰微し廃寺となっていたが、室町中期の応永十五年(1408)、僧歓雅により中興、以後は幕府、のち六角氏支配の下で琵琶湖舟運にも従事した。信長・秀吉は寺領安堵に加え、同寺を「船奉行」として領主たる地位を認め、その湖上交通統括は綱吉政権下、貞享二年(1685)に船奉行を免ぜられるまで続いた。濠をめぐらし土手・石垣に囲まれた現在の寺域は当時の面影を残す。

近江八幡 地名は同地の日牟礼八幡宮に由来する。天正十三年(1585)に羽柴秀次が八幡山に城を築き、城下町として発達が始まった。秀次自害により文禄四年(1595)には城は廃城となるが、城下建設にともなって作られた堀は琵琶湖水運と結びつき、近世における近江商人活躍の舞台となった。堀の周辺は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。

安土城址 安土山は、六角氏居城のあった観音寺山(繖山)と下街道をはさんで対し、琵琶湖岸に突き出した小山であった。天正四年(1576)から同七年にかけ織田信長が建設した安土城は、焼失した天守閣の壮麗さが当時の記録に詳細であるが、山中の遺跡はなおその威容を今日に伝える。

沙々貴神社 安土にはもと佐々木荘があり、この地を本拠とした佐々木氏(宇多源氏)からは六角・京極氏をはじめとする諸氏が出た。今日も安土に残る沙々貴神社は、佐々木氏の祖である宇多天皇・敦実親王らを祭る。

百済寺 「湖東三山」の一つとして知られ、推古天皇十四年(606)創建と伝えられる古刹。平安期から室町期にかけては三百以上の坊を有して栄え「湖東の小比叡」とも呼ばれたが、織田信長の焼き討ちなどによってほとんどの建物を焼失し、現在の本堂・山門等は慶安期の再建である。回遊式庭園が美しく、屈指の紅葉の名所。

午後5:30頃 JR京都駅八条口 到着予定

* これらの写真はイメージです。当日、紅葉がこの様に見頃であること、況や天気が晴れていることを保障するものではありません。