【法制史学会企画委員会 企画紹介】


ジェンダーの法史学──〈近代法の再定位〉再考

三成 美保(摂南大学)


  はじめに
   (1)「ジェンダー」と法史学
   (2)2003年4月法制史学会シンポジウム「ジェンダーの法史学」
   (3)シンポジウムの趣旨と概要
  おわりに


  はじめに

 企画委員会は、2003年4月26日、27日に早稲田大学において開催される法制史学会総会で、「ジェンダー」の問題を取り上げることを決定した。以下では、(1)「ジェンダー」を法史学で論じることの意義、(2)来春の法制史学会シンポジウム「ジェンダーの法史学」の報告日程を紹介し、(3)シンポジウムの概要を示したい。


(1)「ジェンダー」と法史学

[1]日本のジェンダー関連指数

 1999年、「男女共同参画社会基本法」が公布・施行され、国や自治体がおこなう施策のジェンダー・バイアスをチェックする考え方(「ジェンダー・チェック」)が、わが国ではじめて法に盛り込まれた。もっとも、GNPに代わる新しい指標としてUNDP(国連開発計画)が開発した人間開発の指標によれば、HDI(人間開発指数Human Depelopment Index=健康・知識・生活水準)で世界4位、GDI(ジェンダー開発指数Gender-Related Developement Index=HDIの各要素が男女間でどれほど平等に達成されているかの指数)で世界8位の日本は、GEM(ジェンダー・エンパワーメント測定Gender Empowerment Measure=女性が経済や政治に参加し意思決定に参加できるかどうかの指数)では世界40カ国中38位と最低レベルに位置する(1999年)。

 HDI、GDIの数値が示すように、わが国では男女ともに平均寿命が長く、高度の教育を受け、高い生活水準を享受している。その点で性差はない。にもかかわらず、GEMの数値が示すように、女性の社会進出は世界で最低レベルである。日本は、世界でもっとも「ジェンダー・バイアス」が根強い国の一つといえよう。それは、日本社会全体におけるジェンダーへの関心の低さを物語っており、学問の世界もまた例外ではないように思われる。

[2]「ジェンダー」概念

 「ジェンダー」Gender(社会的・文化的性差)は、1960年代以降アメリカで発展した女性解放運動(「フェミニズムの第2の波」)の影響下で1970年代に積極的意義を獲得した概念である。そもそも「ジェンダー」は、中世ヨーロッパの文法用語であり、言語における「性別」を意味した。しかし、1970年代に、「ジェンダー」は「セックス」Sex(自然的・生物学的性差)の対概念として再定義される。性差の社会構築作用を学問の対象とするためである。

 わが国に「ジェンダー」概念が導入されたのは、1990年代である。当時すでにわが国には、女性の視点を学問研究に取り入れたものとして、1970年代末以降の「女性学」、1980年代後半以降の「フェミニズム」という蓄積があった。しかし、研究の主体も客体も「女性」に限定されがちなこれら二者に比して、「ジェンダー」は、性差を社会秩序の構築要素として重視するかぎりで、差別/排除の構造そのものを問いかけるという視点の広がりをもたらした。

[3]「ジェンダー研究」とその成果

 「ジェンダー」を分析上の準拠枠組とする「ジェンダー研究」Gender studiesは、「性別特性」(いわゆる「男らしさ」や「女らしさ」)や「性別役割分担」(「男は仕事、女は家庭」)が社会構造や文化を規定する要因としていかなる機能を果たしているかを検討することを課題とする。欧米と同じく、日本でもまず社会学や芸術学で「ジェンダー研究」がはじまり、歴史学ではスコット『ジェンダーと歴史学』の翻訳(1992年)、法学では岩波講座『現代の法11・ジェンダーと法』(1997年)を機に、「ジェンダー」への関心が高まった。2001年度より、3年間の時限措置ではあるが、文部科学省科学研究費の審査ジャンルとして「ジェンダー」がもうけられるなど、学際的研究のテーマとして「ジェンダー」は一定の認知を得たと言えよう。

 「ジェンダー研究」の成果はおもに、(1)「近代」批判、(2)公私二分論、(3)家父長制論の3点にまとめられる。「近代」は、「ひと」を男か女にはっきりと弁別し、男に「公的領域」、女に「私的領域」を振り分けることにより、社会秩序を維持しようとした。「公的領域」に属するのは、国家およびさまざまな位相の市民社会(政治的市民社会、経済的市民社会、市民間で非政治的・非経済的なあらゆるコミュニケーションがはかられる場としての市民社会)である。「私的領域」には、家族をはじめとするプライベートな領域が含まれる。「公的領域」の主体は「自律的」・「理性的」な男性とされ、女性はその「従属的」かつ「感情的」(情愛に満ちている)な本性のゆえに「私的領域」をみずからの領分にすると観念された。「社会制度・政治制度・経済制度を通じて女性を抑圧する男性の権威システム」のことをフェミニズムは「家父長制」あるいは「セックス・ジェンダー・システム」とよんだが、「ジェンダー研究」では、「近代」はこの「家父長制」を否定するどころか、むしろ強化したと論じられたのである。

[4]「ジェンダー」と法史学

 ジェンダー秩序は、宗教・道徳・慣習・法などの社会規範と密接な相互関係にたつ。ジェンダー秩序は、それらの規範により構築されるが、同時に、それらの社会規範の重要な前提としてそれらを拘束する。ジェンダー秩序構築にあたって、諸規範のなかでももっとも強い強制力をもつ法は、とりわけ大きな役割を果たす。それぞれの時代、それぞれの文化において、法は、既存のジェンダー秩序を「追認」し、逸脱行為に制裁を加えることをとおしてジェンダー秩序を「維持」し、さらには、あるべきジェンダー秩序を「先導」するのである。「近代法」もまた例外ではなかった。

 近代初期には有産市民の価値観にすぎなかった性別特性論にもとづく公私二分論は、19世紀末以降、労働者大衆にも受け入れられていく。西洋では18世紀末から20世紀初頭にかけて女性解放運動がそれなりのうねりとして展開したが(フェミニズムの第1の波)、その指導者たちも含めて、女性たちもまたこの価値観を共有した。身分制社会の法を克服して市民の「自由・平等」を保障した「近代市民法」は、「ジェンダー」の観点から見るならば、市民社会成員資格を男性に限定して、女性(とりわけ「妻」)の法的行為能力を制限し、男性に対する女性の従属を固定化する強制装置であったといえる。

 法史学は、かねてより「身分」や「階級」・「階層」・「民族」といった社会秩序構築要素に敏感に対応してきた。「ジェンダー」もまたそれらの要素と同じく社会秩序を構築する重要な要素である。「ジェンダー」を論じることにより従来の法史学が根底からくつがえされることはないにしても、男性しか念頭におかずに法的主体としての「ひと」を語り、人口の上ではけっして少数者でない女性を例外視して法生活の周縁においやる法制度の「ジェンダー・バイアス」を問うことに意味がないはずはない。性による差異化の法的構造を歴史的に読み解くことは、法史学が学問としての「ジェンダー・チェック」に耐え、研究をいっそう充実するための有効な視角になると考える。


(2)2003年4月法制史学会シンポジウム「ジェンダーの法史学」

[1]開催日程・場所

 日時:2003年4月26日(土)午後1時〜5時30分(法制史学会総会第1日目午後)
 場所:早稲田大学

[2]シンポジウム構成

テーマ:「ジェンダーの法史学──<近代法の再定位>再考」

趣旨説明・問題提起:三成美保(摂南大学・西洋法史)

報告(いずれも仮題) 
コメンテーター:
    日本法史の立場から:川口由彦(法政大学)
    西洋法史の立場から:石井三記(名古屋大学)
    東洋法史の立場から:高見沢磨(東京大学)

質疑応答
  司会:
    白石玲子(神戸市看護大学・日本法史)
    三成賢次(大阪大学・西洋法史)
 
総括:三成美保

(3)シンポジウムの趣旨と概要

[1]シンポジウムの趣旨

 1999年10月、法制史学会は、「法制史学会創立50周年記念」と銘打ち、「近代法の再定位──比較法史学的試み──」をテーマに2日間にわたり大阪大学においてシンポジウムを開催した。両日とも会員の高い関心をよび、熱心な討議がかわされた。その成果は、石井・寺田・西川・水林編『近代法の再定位』(創文社、2001年)に収録されている。

 同書において、西川論文は、シンポジウムの全体的評価として次のように述べている。「このシンポジウムは、法制史学にとって『近代法の再定位』とは結局『市民社会』像の歴史的な再構成を意味するという、ごく平凡な認識を確認することになったと言えよう。しかし同時に、わが国の法制史学が、この基本問題について、必ずしも国際的な研究水準に即した成果を未だ持っていないことも、残念ながらおそらく確かなのである」。

 「近代法の変容」を論じ、「近代法」の基礎たる「市民社会」の歴史的再構成を試みることはけっして容易なわざではない。今後のわれわれの課題は、「近代法の再定位」シンポジウムで投げかけられた諸問題をひとつひとつ丹念に論じていくことであろう。その限りで、今回のシンポジウムでは、西川論文において提起された問題のうち、「家父長制」と「市民社会論」の二つに関わる論点として「ジェンダー」を取り上げ、「近代法」の性格について再検討したいと考える。

[2]四報告の概要(中間報告)

 今回のシンポジウムは、「ジェンダー」の観点から「近代法」の性格を再検討することを課題とする。とりわけ、「近代市民社会」の基礎をなす「公私二分論」に着目し、「近代法」と「公私二分論」の関わりを考察したい。そのさい留意したのは2点であり、第1は、ジェンダー秩序がもっともよく反映される法領域をとりあげること、第2は、日本近代法秩序との比較をつねに念頭におくことである。

 上記二点に配慮して、シンポジウムでは実定法学・歴史学・法史学の協力をはかる。とりあげる法領域は民法(全体)・家族法・刑事法・労働法であり、一方では実定法学と法史学を対比し、他方では近代日本と近世日本、西洋近代を対比する。

 シンポジウム準備のためのジェンダー法史研究会では、すでに3回にわたって共同研究会をもち、シンポジウムの方向性について議論を重ねた。以下では、その中間報告を行い、シンポジウムの内容紹介に代えたい。もっとも、シンポジウムまでになお8ヶ月を残していることから、今後とも報告改善のための修正変更がありうることをお断りしておく。

 (1)吉田報告
 吉田報告は、民法学の立場から、近代市民法がいかにジェンダー秩序を埋め込んだものであったかについて論じる。近代市民法秩序のもとでは、「公的領域」と「私的領域」が峻別されたが、「私的領域」に非市民法的諸要素を押しこめることにより、「公的領域」での自由・平等が達成された。「公的領域」を反映したものとしての近代市民法体系は、いちじるしく強いフィクション性を帯びる。近代市民社会から現代市民社会への移行にともない、法は「私的領域」における差別構造をはじめとする現実との緊張を高める。以上の前提のもとに、「家族の法」と「ひとの法」が考察対象として取り上げられる。「家族」は市民社会の外にあって、市民社会の基礎をなし、近代市民法の家父長制的性格を規定する。他方、「ひと」は、財貨交換の「主体」と「客体」の二面から考察される。そのさい、法的主体としての男性、取引・侵害客体としての女性という観点から、「ひと」のジェンダー・バイアスに着目する。

 (2)村上報告
 村上報告は、吉田報告で示された「家族の法」にひそむジェンダー秩序の日本近代的特徴を読み解こうとする。取り上げるのは、法典編纂期の「親権」をめぐる議論である。日本の「家」は、西洋近代的な意味での「私的領域」に押し込められた「家族」ではなく、「公序」としての性格を強く有する。「家」と「家族」は必ずしも一致せず、「家」に関わる「戸主権」と「家族」に関わる「親権」は分離された。西洋近代法では親権をめぐって父母の役割分担が議論されるにとどまるが、わが国の「親権」論では、父母の役割に加えて、「家」との関係が同時に論じられた。日本近代家族法においては、西洋近代家族法と共通するジェンダー秩序と、わが国独自の「公序」としての「家」制度がはらむジェンダー秩序という二重のジェンダー秩序がつねに問われたといえよう。「親権」をめぐる議論は、法典編纂者がこの二重のジェンダー秩序を法的にどのように表現しようとしたかを如実に示すものである。

 (3)曽根報告
 曽根報告は、江戸期の刑事事件を取り上げて、刑事責任の性差を考察する。近世幕藩体制は、<君主ー官僚制機構>の権力体系として存在する「公」が著しく拡大し、「私」が極度に収縮された時代として特徴づけられるが(水林)、西洋近代市民社会とは大きく異なる公私システムのもとで、いかなるジェンダー秩序が形成されたのか。また、そのジェンダー秩序は、『公事方御定書』や裁判に具体的にどのように反映されたのか。近代日本が「伝統」として抱え込まざるをえなかった近世的ジェンダー秩序を明らかにする一方で、それが西洋的近代法の浸透を阻む要因の一つとして機能した可能性を展望する。

 (4)松本報告
 松本報告は、19世紀末ドイツの労働と性差について検討する。女性は「私的領域」に封じ込められるべきものとされたにもかかわらず、実際には多くの労働者階級女性が働いていた。しかし、「公的領域」に進出した女性はあくまで「二流市民」にとどまる。平等原理にもとづく「私法」のもとで性別賃金格差・職種差別が顕著であり、参政権・陪審員資格・官僚任用要件が関わる「公法」の領域では女性の参加は公法秩序を根本から脅かすとして警戒された。ところが、新しく形成されてきた「社会法」の領域では、国家の利害がからんで性差別の否定と温存という二つの局面が交錯することになる。近代法が現代法へと変質をとげる時期に、ジェンダー秩序はそれにどのように関わったのか。「社会法」の基本的性格は、ジェンダーの視点から見てどのように特徴づけられるのかについて論じる予定である。

[3]シンポジウム関連報告

 研究大会第1日目(シンポジウム当日)の午前(11:00〜12:00)には、マシュー・H・ソマー氏(スタンフォード大学)「前近代中国の法とジェンダー」(仮題)の報告が予定されている。準備の都合でシンポジウム報告に東洋法史を取り入れることができなかったため、ソマー氏の報告をもってそれに代えたいと考える。ご理解をお願いしたい。


  おわりに

 シンポジウム準備にあたっては、企画委員会をはじめ多方面からさまざまな支援をいただいている。心から感謝するとともに、実りあるシンポジウムにするため、今後ともみなさまから忌憚のないご意見を頂戴して、シンポジウムに生かしたい。また、シンポジウム当日には多数のご参加をいただき、今後の法史学研究の発展にささやかなりとも貢献できるよう努力したい。


 《関連文献》
(2002-08-13 第1版掲載) 

* 【追記】この文書には改訂版(2003-03-24)があります。


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